#5 gigiのように世界を感じてみたいと思えて仕方ないこと

Gigi Ruf、といっても、ほとんどの人は知らないに違いない。

それなら、とりあえずこれでも見てもらうか。
 
 
スノーボードのDVDを見出したのは、2008年くらいのことだろうか。
東京ドームでのX-TRAIL JAMの最終年だと思う。
(あれはたしかにクレイジーなイベントで、最高だった!最後の最後に行けて良かったが、
別にボードに何の興味もないのに、体よく連行された友人のタモには災難だったろう)
そのころはTravis RiceやShaun Whiteが好きで、いろいろ買い漁っては、家でダダ流しにしていた。 
That's It That's All (ザッツ・イット・ザッツ・オール) 輸入版 [Blu-ray]

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 でもこのシーンをOverseasというDVDで見た瞬間、圧倒的にGigiが大好きになった。

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さすが、探してみるとポスターにまでなっている1枚。
(が、ヨーロッパのボードDVDってレアで、もはやAmazonにもYoutubeにも存在しない逸材。
自分でもよく購入できたものだと思う)
 
 
Gigiを見ていると、とても不思議な感覚に襲われる。
まるで重力が存在しないような、方位も定かでないような、
そのなかでGigiの意志だけが自由に世界を泳いでいるような、そんな感覚。
 
そんなGigiをしばらく眺めていると必ず、彼の目で世界を見たいという思いが湧き上がる。
でもそれは彼の視野を獲得したいということではなく、
身体性そのものを感じたい、ということに近い。
体に受ける風、手に触れる雪の冷たさ、耳元でする空気を切る音。
斜面を踏み切る脚、大きく広げた腕、その度に筋肉が収縮する感覚。
着地するとともに全身の関節にぞわっと感じる重力。
 
Gigiが滑る映像を見つめながらそんな様子を勝手気ままに想像すると
視覚情報が人の受ける情報のほとんどだなんてウソだと思う。
仮に見た目で脳がだませても、身体はだませないと思う。
 
Gigiの身体で世界を感じたら、どんなだろう。
 
その身体性まで含めた感覚というのが
本来的な人間の感覚ではないかと最近思い始めている。
 
例えば仕事柄、展示会の設計をしたり、映像のディレクションをしたり
いろいろ関わったりするわけなのだけれど、
あまりに視覚ありき、しかも近視眼的な視野設定で判断をされることが多い気がする。
ふとした心の揺らぎを創り出しているものが何なのか、ということに対して
とても認識の仕方が雑な気がするのだ。
全身の皮膚感覚、下手したら第六感まで含めて、
膨大な数の人間の「受信機」を相手に、きちんと勝負しているのか? と問いたくなる。
 
もちろん戦略的に見ないふりをする、っていうのはよくある話で。
でもやっぱりそれもどうかと思ってしまって、一人悶々とする。
 
TV世代だからなのか、スマホ世代だからなのか
3次元世界に対しての感覚が、弱まっているような気がする。
3次元を超える、情報という名の膨大なカオスがあることには慣れているのに
空間と時間軸というベクトルで構成されている世界に、自分がどう相対しているのか、
分からなくなってしまったように見える人にたくさん出会う。
 
人間がそういう進化を果たしてきたのならば、
この議論は人類社会にとってあまり有益なことではないし、
解明をすることはまた、不正確な定量的議論を呼ぶだけだから
「でもそういうことだよね?」と訴えたいだけなのだけれど。
 
Gigiがいなければおそらく、雪山に足を運ぶこともなかっただろうと思う。
彼のように世の中を感じることはできなくても、
とりあえず雪山の空気だけはめいっぱい、自分の身体に吸い込むことができる。
雪山の静謐さについては、また冬になったら述べようか。