オランダの友人と1時間話した

ハリー、という友人がいる。
彼はオランダのEindhovenアイントホーフェン、というところに住んでいる。
 
誤解なきように初めに断っておくと、ハリーはれっきとした日本人だ。
 
彼は、一番町に中高6年間引きこもって暮らした私とは違い、
自ら思い立って高校からUKに留学をし、
しかしなぜか私と同時に某総合広告代理店に就職をし、
なぜか私と同じ大阪のラジオ担当部署に配属となった。
 
が、齢30を境目に(正確な彼の歳は忘れたが)よりやりがいを感じられる仕事へと転職して行った。
日本でいくつかの仕事を経験した後、半年前くらいから
ヨーロッパの拠点の一つであるアイントホーフェンに移っていった。
 
そんな彼が出張で、しかも大阪に立ち寄るというので、
いそいでつまらない出張から大阪にとって返し、駅前ビルのマヅラでビールをあおることとなった。
 
つまらない出張のせいで話せたのは都合1時間程度、深い話にはならなかったが、
話のトピックは様々なテーマへと次々に飛び移った。
 
オランダでの働き方、人事制度の考え方
WWⅡの後に復興した、オランダの街並みと日本の都市の街並みの違い
大阪都構想"騒動"とはいったいなんだったのか
などなど。
安保の話も少ししたかな。
 
たびたびトイレに立った割には、いろんな話をしたものだ。
つくづく、あの席がトイレに近くてよかったと心から思う。
 
それぞれのことについては、また改めて書く機会もあろうが、
しかしまあ、1時間でこんな話をできる友人は貴重だということだ。
議論まではできなかったが、お互いが思ったことはそれぞれにちょっとずつ伝えられたかなと。
 
別に政治家でなくとも、歴史学者でなくとも、建築家でなくとも
何気なくいろんなことを考えて、誰かと意見を交わして、また考えて
そんな風にしていかなければ世の中良くならんだろうと思う。
今はあまりに複雑な社会生態系が、様々な変数を内包して自走したりするから
何だか世の中前に向かって動いているように思うが
実はそうでもないんじゃないかと思う瞬間がふとある。
 
今、嬉野さんばやりなのでまた引くが、ネスカフェの企画で嬉野さんは
コーヒー文化がヨーロッパに入ってきた時代について、こんな風に書いていた。
 
その時ロンドンに入って来た珈琲とコーヒーハウスがヨーロッパにもたらした一番の衝撃は、「白昼、男たちが覚醒した頭で議論をし始めたこと」だったそうでございます。 

こんな言い方をされますと私も興奮するのでございます。 
だって今となっては「そんなこと別に驚くことじゃないでしょ?」というありふれた状況も、ひとっつも普通じゃなかった昔があったということを知る瞬間なわけですからね。 

確かに男たちは昔から議論好きではあった。けれどノンアルコールの珈琲が入ってくるまでは常に片手にワイングラスかビールジョッキを持っていて、激論のたびに酒をあおってしまうものだから、やがて皆一様に酩酊し始めて議論はいつも尻切れとんぼのぐだぐだになり、結局、最後には酒樽と一緒に汚物の中を転げ回って自己嫌悪とともに朝を迎えるということの繰り返しであったろうことは想像に難くない。 

それが今や珈琲のもたらすカフェインの作用で頭は終始ハッキリしたままで、男たちは議論を闘わせ続ける。 

他人の話を聞いてみれば、今までは自分だけの不満だと思っていたことが、他人も同じように不満と思っていたのだと知ることとなり、その不満をコーヒーハウスに集まって居る皆と一緒に口を揃えて言い募っているだけでも、なんだか我が身に力を得たような興奮が自然と湧き上がってくる。 

コーヒーハウスに集まってくる人間たちと王政を批判するうちに、いつしか社会の矛盾と法の不合理が明確になっていく。 
 
 
 
コーヒーってビビッドでかっけー、と思った。
今のスタバってだせー、と思った。
(便利に使わせて頂いていますよ、念のため)
 
マヅラでのハリーと私は、それなりにカッコ良かったんじゃないかと思う。
もう少しカッコ良くなりたいから、次までにちょっとオランダについて勉強しておこうと思う。
いや、ハリーが縁遠くなる日本政治にフォーカスしようか。
 
そうなると新聞を読むのが楽しみになる。
政治家を密かに志す友人と意見を交わすのが楽しみになる。
カフェに行くか、やっぱりビールを傾けるかは、それから考えれば良い。